土佐和紙壁紙について
 
 
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610年頃に曇徴という高麗のお坊さんによって、初めて日本に「紙」が伝えられました。
それからお経を書いたり、手紙を書くのにたくさんの紙を使うようになり、各地で紙つくりがさかんになりました。
高知では920年頃(平安時代 延喜年間)に「紙を作る国」として記述されています。
江戸時代になると、安芸三郎佐衛門家友が「土佐七色紙」呼ばれる七色の紙を発明、また野中兼山が楮の栽培を進めたこともあり、紙作りはますます盛んになりました。
江戸末期に現在の伊野町で生まれた吉井源太(写真)により製造能率の向上、紙質の改良等が進められ「土佐和紙の黄金時代」を迎えることとなりました。
しかし、現在では需要の変化等により高知県内に手漉き工場は数えるばかりしかありません。


土佐紙業の恩人 吉井源太

 
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和紙は植物の勒皮繊維(表皮のすぐ内側にある柔らかい内皮)を主原料とします。
昔からの代表的なものは楮、三椏、雁皮。 最近ではケナフも使用されています。
雨が多く暖かい高知県の山々では楮、三椏が多く作られ、現在でも全国の50から55%の生産量があり、全国各地に送られています。
   
 

 

 

楮(コウゾ) 主な産地は、高知県・茨城県。

クワ科の植物で繊維が長く太いので、たいへん丈夫な紙ができます。
土佐和紙で最も有名な「土佐典具紙」は楮で作られています。

 

 

三椏(ミツマタ) 主な産地は、四国中国地方。

ジンチョウゲ科の植物で楮に比べ繊維は短く強さもやや劣りますが滑らかで光沢のある紙ができます。
西陣の金糸、銀糸は三椏から作られており、1万円札も土佐和紙三椏なのです。

 

 

雁皮(ガンビ)

栽培は難しく山野で自生しているものをつかいます。ジンチョウゲ科の植物で繊維が最も細かく粘りがあります。

謄写版原紙などが作られます。

 

 

ケナフ

アオイ科の植物で成長が早く二酸化炭素を大量に吸収し、環境改善作物として注目されています。
土佐和紙の産地、土佐市高岡町や伊野町では小中学校も含めて多く栽培されています。

 

 
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奈良の正倉院では1000年以上も昔の本や絵がそのままの形で保存をされています。 同じ時代に同じように保存された布はボロボロになっていることからも手漉き和紙の強さがよく分かります。
昔からの産業をまもるため、国の法整備も進められています。
土佐和紙も昭和51年に「伝統工芸品」の指定を受け、土佐和紙を代表する「典具帖紙」、「清帳紙」は国の無形文化財に定められました。
また、和紙を漉く用具を作る技術者も選定保存技術に指定され保護されています。
昭和60年には清流仁淀川に沿い、紙の町として発展してきた吾川郡伊野町に全国ではじめての紙の伝統産業会館「いの町紙の博物館」が建てられました。



              いの町紙の博物館
 
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1000年の歴史を誇る土佐和紙も美術品、工芸書道品等の需要の減少により急速に市場が縮小され、危篤状態を迎えました。
「土佐の伝統産業を守る!」 この一念のもとに当時高知大学農学部、高知県立紙産業技術センターを中心に数社の製紙会社が集まり、機械漉きによる「土佐和紙壁紙」を開発し、現在に至っています。
   
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